人間の心理

心理学から紐解く人の心理

「失った15年」

【始めに】

令和6年能登半島地震により亡くなられた方々に哀悼の意を表し、ご遺族と被災された方々に心からお見舞いをお伝え致します。

そして、救助、復旧活動に取り組まれている関係者の方々に対し、敬意を表すと共に安全を祈念申し上げます。

 

 

<ある女性の人生>

働けない自分に価値はない…

パニック障害で失った15年。

惨めだった生活保護暮らしから社会復帰目指した49歳女性の足跡の話。

美保(仮名)さんは今、日本の雇用労働者の4割を占める、パートや派遣などの非正規雇用だ。

不安定な働き方や低賃金は貧困に繋がる場合がある。一方で、正社員以外の多様な働き方を必要とする人もおり、その仕事や暮らしからは、社会が抱える問題は多義にわたる。

<突然の発作>

ある日突然、自宅で突然息苦しくて心臓の鼓動が…

長野県の北信地方に住む美保さんはまだ49歳、自宅で突然呼吸が苦しくなった。

全力疾走した後の様に心臓がばくばくし、冷や汗が出て、十数分はその状態が続いたという。

鼻づまりが原因かと思い総合病院の耳鼻科を受診したが、心療内科で不安障害と診断。

その後、別の医療機関パニック障害と告げられる。

元来心配性で不安感が強い性格の美保さん。加えて、それまでに積もり積もったストレスが発症の背景にあったと思っている。

<職場で自分を否定されストレスで発作>

美保さんは県外の短大を卒業後、20歳で食品関連会社に正社員として就職。

事務を担当していたが、先輩方は厳しく仕事を覚えきれず「前にも教えたよね」と嫌みを言われ、仕事が遅いと叱られた。

昼休みも働く日々が続き、泣きながら出社するようになり、3年で辞める。

その後、別の会社に転職し1年ほどで結婚を機に退職したが27歳の頃に離婚。

そして、短期のアルバイトや派遣の仕事をしながら生活していた頃、初めてパニック発作が出る。

職場で自分を否定され、離婚も経験して自信がなくなっていたという。

<また発作が起きたらと不安に>

抗不安薬などの薬物治療をして1年、治ったと思いスーパーでアルバイトを始めるも、すぐに発作が出る。

仕事に出かけようと自宅を出る前や帰宅した時、呼吸が苦しくなり頭がおかしくなりそうな感覚に襲われ、また発作が起きたらどうしようと不安のあまり外出出来なくなり、退職する。

収入のない身で両親と実家で暮らし、肩身は狭く、更に体が重く起き上がれず日常生活もままならない状態に…

ただ、外見上は問題がない様にに見える為、両親は働けない事を疑われ、兄弟からも非難された。

<自分には価値がないと膨らむ思い>

塵芥だと思ってしまい、自分には価値がないと思う気持ちが膨らんだ。

両親と普通に会話をしていても内心では仕事に関する話題は出ないでくれと願っていた。

仕事しないの?と両親に聞かれたら、分かってると生返事をしてやり過ごした。

美保さんが40歳になる頃、父が癌になり、母の持病もあり、両親の世話をする様に…

2017年に父が、19年に母が相次いで死去後は2人が残した貯金で生活。

外出はスーパーへの買い物や自身の通院、ペットの猫達の為に動物病院に行く程度になった。

<気が付けば生活保護を受ける様に>

深い喪失感から立ち直ること出来ずにいると21年6月、飼い猫が死ぬ。

数匹の中で特に大切にしていた猫だった。

美保さんを癒やしてくれた存在が消え、気力が湧かなくなり、気付けば貯金はほぼ無し、22年春には障害年金の支給を申請したが条件が満たされないと却下。

夏から生活保護を受け始めた。

生活保護では医療費の自己負担がなく、窓口で支払いがなく惨めだった。

車の運転は禁止、行動が制限され、自由がないとも感じた。

パニック発作への不安やうつ状態から働くのは無理と思っていた美保さん、しかし生活保護を経験し、現状を脱したいという気持ちが上回り、復帰に向けて動き出す。

働くことから遠ざかって15年、美保さんは社会復帰を目指し、動き始めたという。

<社会復帰へ>

北信地方医療機関を訪れる美保さんに3週間に1度の心療内科の受診日がある。

臨床心理士が近況を尋ねると、美保さんは月曜日は気が重いけど、何とか過ごしていますと返答。

美保さんは現在、1日6時間勤務の事務職で働いており、電話応対が苦手で緊張するが、書類作りなどの仕事には徐々に慣れてきたと感じているそうだ。

パニック障害を発症し、長年働くことが出来ず実家で両親と暮らした美保さん、父母の病死後に困窮し生活保護を受け、現状から抜け出したいと思ったことが社会復帰への原動力となったのだろう。

<自信になったデイケア

自分の癖を知る機会になる。

先ず始めたのは、通院先でデイケアプログラムに通うこと。

だが、いざ始めるまでも美保さんの不安は強かったと小百合さんは振り返っている。

無理だと思いがちな美保さんに対し、途中で帰ってもいいと安心を保障。

週3日のデイケアプログラムを開始すると、朝から昼食を挟み夕方までの日程をこなすことが出来た。

半年間通い続けた経験は、美保さんにとって大きな自信になったという。

<まとめ>

プログラムの内容はコミュニケーション力を高める講座や医師の話など様々。

その中で集団認知行動療法は、考え(認知)と行動を見直すことを通して気持ちや体調を整える狙いがあり、患者10人ほどで自分の近況をテーマに意見交換。自分の認知の癖を知る機会になったと美保さん。

気分を変えるには、行動をしてみるといったストレスへの対処法も学んだ。

時々発作は起きるが、ぐるぐる考えるのを辞められず、半年ぶりにパニック発作を起こし、不安を臨床心理士に打ち明け、生活スタイルを見直さ事で現在の仕事は1年ごとの更新。

パニック発作の不安とうつ病も抱えて出てくるのは不安ばかりにならあえて、将来のことはあまり考えず、とにかく1日、頑張ってみる、そんな毎日を重ねている。

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