<集団生活で学意義>
子どもたちが集団生活で学ぶ意義は大きい。
ただ、協調性=集団に合わせる、ということではなく、
学校で集団生活を送ることで、コミュニケーション能力などの協調性を身に付けられる。
集団の中で自分はどのように立ち振る舞えばよいのか、どうすれば自分の能力を最大限発揮できるのかなど、将来職場のチームで働く上で大切なスキルが学べる。
これらを学ぶ意義を最大化するには、集団の中に個性を大切にし、尊重する文化が必要で、一つの集団の中に考え方や文化の違いがあってこそ、コミュニケーションの重要性が分かるのだ。
しかし、日本の学校は個性や違いを嫌う傾向にある。学校生活にはたくさんの規則があって、見た目、行動、勉強内容、勉強時間まで、みんな一緒を求められいわゆる「集団に合わせる」ということが、集団生活で学ぶべき価値だと言わんばかりだ。
この考えには真っ向から反対したい。
何故なら、みんな一緒を求めることの大きな弊害が二つあると考えるからだ。
<個性を潰す方向に向かってしまう>
ひとつは、教師の意識が集団に合わない個性をどうなくすかに向かうことだ。
みんな一緒を実現するには、集団をそろえるための基準が必要となり、教師によって指導に差が出ないように、統一した基準が作られる。
そして、基準が作られると集団を統一することが目的となり、教師の意識は「集団に合わない個性をどうなくすか」に向かってしまう。
つまり、その最たる例が校則で、校則はルールの意味よりも、集団を統一することが目的になっている。
みんなが同じ見た目に揃うように、膨大な労力をかけて指導され、子どもは自分の個性よりも、周りに合わせることを優先するようになり、自己主張が苦手になっていく。
にもかかわらず、社会に出ると「自分で考えてやりたいことをやれ」と言われるから無茶苦茶だろう。
何でもかんでも統一して、個性を潰す教育に未来は無いのではと思う。
<空気が読めない子が排除される>
そして、もうひとつは、集団に合わせられない子が排除されることだ。
「空気が読めない子」と言われるのだ。
集団に合わせるのが苦手な子がいる、この「空気が読めない」という言葉の理由は、「空気」とは集団の中でも一部の影響力がある人間、もしくは多数派のグループが作り出したものであり、それを読むほどの価値はない。
ある学級でレクリエーションの内容を話し合い、内容が多数決で鬼ごっこに決まる。
当然鬼ごっこをやりたい子たちは全力で楽しむが、走るのが苦手な子は参加こそするけど、心から楽しめないかもしれない、それなのに多数派からは「あいつはノリが悪い」「空気が読めないやつだ」と言われてしまった、この様な事例は、それがいじめの原因にもなるだろう。
そんな時に「みんな一緒」を教師が強く訴えれば訴えるほど、周りに合わせるのが苦手な子を排除する空気が教室に充満していくのだ。
<休まないことが立派なのか>
日本は世界と比較して、会社員の有給休暇の取得日数が少ない。
厚生労働省の調査によると、休みにくい最多の理由は「みんなに迷惑がかかると感じるから」
「自分が休んだら誰かに負担がいってしまう」
「お互いに気を遣って休めない」など。
みんなが休めればお互い様だと思うのだが、およそ休みにくい空気が漂っている。
これと因果関係は断言出来ないものの学校では休まない子が立派という文化何培かわれる。
欠席日数が高校入試に関係したり、休むと授業に付いていけなくなったりする。
皆勤賞が表彰され、休まない子が先生から認められると、休みにくい雰囲気ができる。
休まずに頑張っている子は確かに立派だと思う。
ただ、それと比較して休んだ子が悪いとか、不利になることは間違っており、休みにくい雰囲気が助長されて、子どもを追い込んでしまう危険がある。
<皆勤賞なんて必要ない>
例えば、悩みごとを抱えている子が、思い切って親に「今日は休みたい」と伝えたとする。聞いた親は驚くだろうが、頭の中に「学校を休むと不利になる」という意識があると「もう少し頑張ってみたら」と説得してしまう。勇気を振り絞って相談したのに、休ませてもらえなかった子どもは、逃げ道をなくす。
実際に同様の事例はあり、不登校になったり、いじめの発覚が遅れたりすることがある。
休みにくい雰囲気が子どもと親の余裕を奪い、子どものヘルプのサインを見逃すことにつながる。
子どもも親も休みやすい環境があれば、話を聞いてあげる余裕が生まれるのではないだろうか。
その為には、休むことに対して、学校側のスタンスを変えることが重要だ。
むしろ皆勤賞なんて必要なく、大人と同様に年5日くらいの自由休暇があっても良いのではないか。
自分で休むタイミングを考えるということが大切で、休む理由も体調不良である必要はない。
家族旅行で休む子がいても良いし、平日にしか親が休めない家庭もあるのだから、周りがとやかく言うのもおかしい。
<苦しいときは休むべき>
自治体や受ける学校によって違う入試への影響の度合い。
私立の入試や推薦入試の場合には、欠席日数が影響することも多いが、年数日休んでも影響がない場合が殆ど。
詳細は各校の募集要項に書いてある。
不安に思う親を減らすために、学校が正しい知識を伝えるべき。
学校の授業はみんなで同じ内容を同じ時間に学ぶので、一日休めば授業が先に進んで、周りと差が生まれてしまうことが休みにくい理由になっていた。
ただ、今はタブレット端末が一人一台配られ、授業の様子をデータで残せるようになったので学習ドリルや動画で後から学び直すこともできる。
無料のコンテンツも多くウェブ上にある。休んだ日の授業を補う方法がいくらでもあるので、昔よりも休んだ子への支援ができる。
休むことは、心身の健康に大切な時間、休まずに無理して心が折れると、立ち直るのに数年かかる。
<まとめ>
みんな仲良しクラスは目指さない。
目指すべきは、誰も傷つけないクラス、適切な人との距離感の実現。
集団生活で学ばせたいことは、空気を読んで嫌なことを我慢する力ではなく、自分の気持ちを相手にうまく伝える力。
苦しいときは休んでいいという選択肢があるだけで、安心できる子がいる。
大人が子どもから「休む」という選択肢を奪ってはいけない。