<今だにあるなんて>
14歳の少女が精神病院で体験した「極限の地獄」今もフラッシュバックに苦しむAさんの話。
14歳のときに精神科に入院し、77日間にわたり身体拘束される。
精神疾患により医療機関にかかっている患者数は日本中で400万人を超えている。
そして精神病床への入院患者数は約28万人、精神病床は約34万床あり、世界の5分の1を占める。
人口当たりでは世界でダントツに多く、その背景として現場では長期入院や身体拘束など人権上の問題が山積している。
彼女が体験した77日間では「痒い時も自分ではかけない、寝返りもいっさい打てない」
「クモが天井から降りても動かせない、顔の数センチ横に落ちるもどうにもできない」など。
「いつ地獄が終わるのかわからない生」の方が死より、とてつもなく恐ろしいかったと言う。
今だにこんな事があるなんて私は驚き、どんなに辛かっただろうと思うと怒りが込み上げて来た。
<ある一言がきっかけで>
14歳の時「思ったより体重あるんだね」学校で言われたこの一言がきっかけでダイエットを始め、摂食障害(拒食症)で都内の総合病院の精神科に入院し、77日間にわたり身体拘束される。
完璧主義者だった彼女は、ほんの少しでも体重が増えると摂取カロリーを過度に抑えるような食事制限を自らに課す。
生理が無くなったり、ふらついたりする状態を心配した両親は、やがてこの病院を受診させ、彼女は入院することになる。
彼女は拒食症という病気であると知り、治さなければならないと思い、開放病棟での任意入院と聞き安心し、入院にも納得していた。
ところがそんな安心感は一気に吹っ飛ぶ…
入院にあたり、まず持ち物検査があり、眉をそるためのカミソリはおろか、携帯電話や音楽を聴くためのiPod、書籍や筆記用具、コンタクトレンズまで持ち込みが許されなかった。
持ってきた大切なぬいぐるみは手乗りサイズ1つを残し、すべて持ち帰りが命じられる。
そして案内されたのは病棟の奥にあるベッドとポータブルトイレだけがある、無機質なまるで独房のような個室だった。
鉄格子のついた窓の外はつねに日陰で、その日の天気もわからなかった。
両親は「頑張ってね」と泣いて彼女を見送るが本人も両親もまさか次にお互いの顔を見る事が出来るのが約4カ月半も先になるとは想像もしていなかった。
<主治医から課されたのは>
入院後はベッド上に寝たままで勝手に動かないように主治医からきつく課される。
いわゆる床上安静ということだろう。
ベッドサイドに腰掛けることも認められず、個室内の衝立のないポータブルトイレですら勝手に使うことが許されず、看護師の許可を得て利用し使用後確認させる事が求められた。
つまり彼女が自由を許されたのは、個室のベッドの上で横になり、小さなぬいぐるみをひたすら撫でる事だけだった。
出された普通食は、3分の2以上平らげることを厳しく求められ、しかも病院ではそれまで胃が受け付けないと避けていた、天丼やカレーなど、本人にとって重い食事が頻繁に提供される。
やがて主治医への不信感は高まっていく。
その背景には、最初の面談で3分の2以上食べなければ、鼻から胃に直接栄養をいれる経鼻胃管に切り替えると告げられて、胃もたれに苦しみながら必死で食べ続けてり、テレビも読書も音楽も禁止され、両親や友人との面会はおろか手紙や伝言も許されないなど、外界とつながりが日々隔絶されたからだ。
揚げ物の衣の油がきつく、できれば食べたくなかったが、彼女は必死で頑張った。
だがこの病院と主治医への不信感は次第に高まっていくだけだった。
入院から約1週間後、Aさんは両親に会いたいとの懇願を看護師にあしらわれる。
不満から点滴を自己抜去した。
駆けつけた主治医に、彼女は思いを露呈する。
「ほかの精神科へ転院させてください」「無理なら小児科病棟に移して下さい」と懇願するがあっさりと却下される。
最後の希望をかけて、「私は任意入院だと聞いています。権利があるはずなので退院して自宅に帰ります」と訴え、出ていこうと考える。
<主治医からの非常な一言>
だが主治医から非情な一言が告げられる。
「今から医療保護入院になるから帰れないよ」
医療保護入院は精神科特有の入院制度で、本人が拒絶しても、家族など1人の同意に加え、1人の精神保健指定医の診断があれば強制入院が出来る。なんと両親は入院時に主治医から求められ、最初に同意をさせられていた。
「じゃあやっておいて」の主治医の手慣れた合図で4人の看護師が手足を押さえつけ、手際よく柔道着の帯のような平たい頑丈なひもを両手、肩、両足に巻き付けベッドの柵の下側に結んでいく。
次に鼻の穴から、経鼻胃管のチューブが挿管され、チューブは胃カメラの時より太くて固い。
それが常時入れられたままになっていく。
経鼻胃管柱が喉に突き刺さっているような感覚が続き、苦くて痛い、そして苦しくかゆい。
<極限の地獄>
排尿は、尿道バルーンが自動的に尿を吸い出す形で行われ、拘束が外れた後も筋力が回復して自力でトイレに行けるようになるまで、約2カ月半ほど付け続けた。
経鼻胃管の痛みと違和感が強すぎて、尿道バルーンの痛みや違和感は記憶が無い。
意識が鮮明ゆえにとてつもなく恥ずかしい。
更に恥ずかしかったのは排便だ。
おむつを付けさせられたうえ、排便時にはナースコールをして看護師におむつを脱がされ、お尻とベッドの間にちり取りの形をしたオマルを入れ、そこにしなければならなかった。
プライバシーの配慮は、おなかに1枚タオルをかけてくれたぐらいで配慮は無いに等しい。
3日に1回お通じがなければ浣腸され、無理やり排便させられた。
恥ずかしいし情けないし、思い出したくない経験だったと言う。
意識が完全にクリアな中でされる身体拘束や経鼻胃管、尿道バルーンの経験は、まさに「極限の地獄」だったという。
入浴もできず、数日に一度の看護師による手か足の部分浴か清拭のみがなされた。
点滴が落ちるのを見ることぐらいしか出来ない。
身体拘束中は、1分1秒、時間が経つのがとてつもなく長いのだった。
ここまでの話の中で当然のことながら、摂食障害で入院したAさんは意識も鮮明で、はっきりと意思の疎通もでき、もちろん幻覚を見たり幻聴を聞いたりすることもなかったので、かなりの悪徳な病院だと言う事が分かる。
<地獄からの脱出法を必死で考える>
彼女はどうしたらこの拘束が解け地獄から抜け出せるのか、必死で考え続けた。
だが禅問答続きでの拘束継続は悲惨なものだった。
主治医からは身体拘束の理由について「自分を見つめなおす為」「自分と向き合う時間を作るため」といった抽象的な説明ばかりで、本人のその時点での状態の説明や治療目的、どうすれば拘束が外れるかの具体的説明などは、何ひとつ無かった。
時には身体拘束を含めすべてを受け入れるような従順な発言や主治医を信頼しているような発言をしてみたり、時には激しい口調で反抗的な態度をとってみたりする。
だが「どうしてそう思うのかな?」などと返させる禅問答続きで、一向に状況は変わらなかった。
いつまで続くかわからない身体拘束から逃れるべく、考え続けた結果、彼女が生育過程での母親との関係性の悪化について話をする時だけ、話を納得したように黙って聞いてくれると気が付く。
主治医はきっとこの病気の原因を母親との親子関係と結び付きがあると考えているのだと思い、その方向で話を合わせるようになってからは、拘束が緩んでいくのが早くなった。
結局、77日間にわたって24時間拘束が続いた。
両親と面会が許されたのは、さらに1カ月半先。
退院は更に2カ月後で入院から半年が過ぎていた。
<退院後は両親との関係が悪化>
両親に対して何故、拘束に同意したのか、何故一刻も早く助けてくれなかったのかと何度も責めた。
どうやら、拘束しなければ娘は死ぬと言われ、主治医が言うから仕方なく同意していたのだそうだ。
<拘束の代償>
半年間の入院で体力が落ち通学自体が肉体的にきつく、さらに半年にわたり主治医から自分の意見を否定され続けたため、親しい友人たちともうまくコミュニケーションが取れなくなっていた。
緊張してどもる、文字が書けない、1人で話しすぎるなど、円滑な関係を築くことができなくなってしまった。
復学後、数カ月で不登校になり、進学した高校も1日も登校できず退学を余儀なくされた。
専門学校やアルバイトも続かなかった。
1日2時間くらいしか起きていられず、あとはずっと寝たままでうつ病状態となり、薬の過剰摂取を繰り返し、救急車で搬送されてしまう。
今日はここまで、この医師は患者と全く向き合っていない、心理的要素を完全に制圧して精神崩壊に追い込む最悪の展開に私は怒りを覚える。
続きは次回にする…