<全ての責任を背負い込もうと>
「ばばも死ぬから、死んで」78歳の女性は苦悩の末、孫の首に手を掛けた。
発達障害、不登校、暴言と暴力、すべての責任を背負い込もうとしてとった行動が悲し過ぎる。
<事件が起きた住宅>
千葉県内に住む78歳の女性は、自宅で寝ていた孫の男児(9)に静かに近づき、用意したロープを首の後ろに通す。
すると孫は目を覚まし、驚いた表情を見せる、それでも女性はかまわず、無我夢中でロープを引っ張った。
育児に悩みか、命に別条なし。
なんとか逃れた孫は外に飛び出して行き、ひとり残された女性は自分で110番し、電話口で、悲哀に満ちた声でこう告げたという。
「私、孫の首絞めたんです、もう悩んで悩んで…」
離婚した息子夫婦に代わり、母親役となって孫の育児に一生懸命だった祖母。
なぜ最悪の行動に出てしまったのか。裁判の中で、家庭内での暴言や暴行、学校でのトラブルの連続に苦悩を深めていった状況が明らかになった。
<母親不在の子育て>
千葉地方裁判所の公判で判明した内容によると、女性は当時、夫と長男、そして長男の子である孫と4人暮らしだった。
長男は、孫が3歳の時に離婚。
長男の仕事は介護職でシフト勤務のため、家を空けることが多く、その為、孫は主に祖父母に育てられた。何事にもきちんとした「ばば」が寝食や身の回りの世話を担い、おおらかな「じじ」は祖母のサポート役や遊び相手になった。
孫は保育園を卒園する間際に「自閉症スペクトラム(ASD)」と「注意欠陥多動性障害(ADHD)」と診断された。
小学校に進学したものの、周囲とのコミュニケーションは上手く行かない。
小2からは特別支援学級へ…小3になって通常学級の子どもと一緒に授業を受けるようになったが、その頃から学校へ行くことを露骨に嫌がるようになった。
その理由を、孫は祖父に打ち明けている。
「学校に行っても、怒られに行くようなもん」
クラスの児童と喧嘩になると、先生は相手の子をかばい、孫が一方的に悪いかの様に扱われる。
<孫の暴言と暴力>
祖父は法廷でこう証言している。
「孫が学校で受けたストレスは、一方的にばばにかかっていた」
生活リズムを正すよう祖母から注意を受けると、うるさい、しつこいと反発、言葉は成長するにつれてエスカレートし、死ね、出て行けとまで言うようにり、やがて暴力も振るうようになる。
身長150センチと、小学3年にしては恵まれた体格で、力は強く手加減もない。
<千葉県警香取署の見解>
夜はゲームばかりでなかなか寝ようとせず、結果として朝は起きられす、遅刻や欠席が増えた。
真面目で責任感が強い祖母は、孫の将来を強く不安視するようになる。
一方で、主治医は一貫して、学校に行くことを押し付けないよう指導、祖父も賛同し、暴言や暴力を受けることがあっても病気のせいだと捉え、さほど問題視はしなかった。
ただ、性格が生真面目な祖母は違った。
凶悪事件のニュースを見るたびに悪い想像が膨らみ、いつか孫も事件を起こしてしまうのでは…
祖母はこの頃、長男にこうこぼしていたという。
孫のことを考えると、ご飯ものどを通らないし夜も眠れない。
子育ては大人3人で分担していたはずだったが、いつしか祖母ひとりが抱え込み、思い悩む状況に陥る。
孫が不登校状態になると自宅で祖母と2人きりで過ごす時間が増え、暴言や暴行は毎日のようにあった。
祖母はスクールカウンセラーにいろいろ相談していたが、相談内容が学校側に一切共有されていなかったことが判明。
これまで相談していたのは、一体何だったんだろうとひどく落ち込んでしまう。
<事件前日「限界です」>
事態は悪化していく。
孫がかんしゃくを起こし、祖父の左ほおを突然、平手打ち祖母はショックを受けた。
自分も幼い頃、戦死した父に代わり祖父母に育てられた経験がある。
孫が祖父に手を出すのは考えられないことだった。
孫はさらに「出て行け!」と暴言も吐いた。
見かねた祖父は、祖母をレストランに連れ出した。
「私、もう限界です」
2人で静かに食事をした帰り際、祖母がぽつりとつぶやいた。
これまでも「疲れた」「楽になりたい」という発言を祖父は聞いていたものの「限界」という言葉を耳にしたのはこの時が初めてだったという。
相当追い詰められているんだなと思ったが、まさか翌日に事件を起こすとは思っていなかった。
翌27日朝、長男と祖父は既に外出していて、祖母は自宅で段ボールをまとめる作業をしていた時、物置の棚にロープを見つけた。
それを手に取って孫の寝ている和室に向かい、犯行に及んだ。
110番を受けて警察官が駆け付けた時、祖母はそのロープをクローゼットのポールに掛け、首をつろうとしていた。殺人未遂容疑で逮捕された。
<再出発>
事件後のある晩、祖父と一緒に寝ていた孫は、突然泣き出したという。
「ばばは僕を真剣に怒ってくれたんだ」
「大きくなって何でもできるように」
「僕はばばの気持ちを分かってあげられなかった」
「僕が原因なんだよ」
祖父は公判で孫について聞かれ、涙を流して訴え、本当は優しい子なんです、今すぐにでも祖母に会わせてやりたい。
勾留が続く祖母にも変化が見られ、再出発出来る様に向かっているという。
<まとめ>
不登校の子どもについては、学校に無理に行かせなくていいというのが今の時代のスタンダードになった。
でもその根拠や、学校に行かない子どもを誰がサポートするのか、そしてその後どうするのかについては、確固たるものがない。
確かに学校で凄惨ないじめに遭っている子どもは、無理やり学校に行く必要はない、ただ、不登校の子ども全てがいじめに遭っているわけではない。
学校の在り方について、もう少し真剣に取り組む立む必要があるのではないか。